東京高等裁判所 昭和35年(う)1877号 判決 1961年3月31日
控訴人 原審検察官 横井大三
被告人 渡辺正蔵 外三名
検察官 浅見敏夫 子原一夫 坂本杢次
主文
本件控訴を棄却する。
理由
東京地方検察庁検事正野村佐太男の控訴理由は、末尾添付の同人作成名義の控訴趣意書と題する書面及び東京高等検察庁検事子原一夫作成名義の控訴趣意補充書と題する書面記載のとおりであつて、これに対する被告人渡辺正蔵の弁護人小林蝶一、同弁護人比志島龍蔵、被告人竹下彦兵衛の弁護人平松勇及び右両被告人の弁護人天野憲治の各答弁は、末尾添付の右四弁護人共同作成名義の答弁書と題する書面記載のとおりであるから、これらに対して左のとおり判断する。
控訴趣意第一点から第四点まで(補充書第一点から第四点までを含める)について
おもうに、刑法第七条が刑法上の公務員として、まず、例示的に官吏と公吏とを挙げ、次いで補充的に法令により公務に従事する議員、委員その他の職員をいうとしている所以は、国又はこれに準じて考うべき公共団体の事務をもつて公務と観念し、この公務に従事する者をもつて公務員と観念したものと見るべきである。ところで、論旨第一点において引用する次の五つの大審院判例を検討してみるに、
(一)大正三年四月一三日の判決(北海道土功組合法による組合に関するもの)によれば、北海道土功組合法による組合は、北海道区町村又はその局部の公益上必要な事項即ち公共事務を取扱うため公法上設けられた公共団体であるから、その公法人なることは毫も疑なく、その役員である評議員は公務員である。
(二)大正一二年一二月一三日の判決(農会法による農会に関するもの)によれば、法人が公法人であるか否かは法人存在の目的である事業が国家の事務に属するか否かによつて定まることは当院判例の認めるところである。しかもその法人が国家の特別な監督に服しその目的とする事業を遂行する義務を国家に対して負担し、かつ法人を組織する会員に対して特別な権能を有するにおいては、ますますその法人は国家行政組織の一部をなし公法人たることは疑を容れない。農会法による農会はかかる公法人であるからその総代会の総代の選挙は公選たるを失わない。
(三)昭和五年三月一三日の判決(水利組合法による組合に関するもの)によれば、水利組合は水利土功に関する事業で特別の事情により府県その他の地方公共団体の事業とすることを得ないものがある場合に設置される法人であつて、その目的とするところは本来府県その他の地方公共団体の事業であるべき事務を遂行するに在る。水利組合は国家がその行政組織中に加える趣旨に基いて目的を付与してその存在を認めたものであつて、この目的たる事業を国家の監督の下に遂行する公法人であることが明白である。それで同組合会議員は刑法第七条にいう法令により公務に従事する職員というべきである。
(四)昭和一一年一月三〇日及び同年七月一三日の判決(いずれも農会に関するもの)によれば、前掲(二)の判例を引用して市農会議員及び農会総代会組議員はいずれも公務員である。
(五)昭和一三年一二月二二日の判決(蚕糸業組合法による郡養蚕業組合及び県養蚕業組合連合法に関するもの)によれば、郡養蚕業組合は蚕糸業組合の一種であつて関係法規を考え合せると同組合は国家に対してその事業遂行の公法上の義務を負担し、一面その組合員に対し公法上の権能を有するものというべく、従つて同組合の事業は蚕糸に関する国家の公益事務に属するものであるから、本件郡養蚕業組合はその性質上公法人であると解するのを正当とする。また県養蚕業組合連合会も郡養蚕業組合とひとしく公法人であると解するを正当とする。それで同組合の役員は公務員である。
というのであつて、これらを通観してみると、大審院判例の真に意味するところは、必らずしも講学上公法人と呼ばれるすべての法人の事務が常に刑法第七条にいう「公務」に該るものであるとし、従つてその職員は常に「公務員」であると判示し来つたわけのものではなく、具体的事案における個々の法人につき、その公共的性質の濃淡の別に意をそそぎ、それが国の事務またはこれに準ずる公共団体の事務として、刑法が該法人の事務に従事する者をして公務員としての清廉と公正とを保持させるために必要な規制を加えるのにふさわしい性質と内容とを有するか否かによつてその事務が「公務」に該るか否かを判別したものと解せられるのである。しからば、よしや検察官所論のごとく健康保険組合が講学上「公法人」であるとしても、当然その事務が刑法第七条の「公務」に該り、従つてその役職員が同条の「公務員」に該ると即断すべきものではないのであつて、これらを消極に解した原判決が前示大審院判例に反するものと解すべき筋合ではない。原判決が、大審院はいやしくも「公法人」である以上は、その職員は常に「公務員」であると判示して来ているといい、検察官が所論において、大審院判例のすう勢はいやしくもある団体が「公法人」である以上、その役職員は常に「公務員」であることを自明の理と判断しているというのは、けだし判例を正解したものというわけにはいかない。
そこで健康保険組合法による組合についてこれをみると、同法のごとく、それ自体にその事務の公務性又は役職員の公務員性が明定されていない法人については、原判決説示のごとく、該法人の実体、換言すればその事業の性格、成立の沿革、業務運営に対する国家意思の支配の程度、法人とその職員との間の特別権力関係的地位などに着目してその準国家機関性の有無を決定することが相当であると考えられるのである。もつとも原判決説示のうち「経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律」別表乙号に掲げられた法人と本件組合との比較検討については、検察官所論のごとく同法律制定の趣旨にかんがみれば方法論上必らずしもすべて適切ではないというべきであり、また同法以外の公務員性を明定した法律についての考察においても、検察官所論のように、たとえば弁護士会のごときは本件組合と比較するには適切ではないとみられるのであるが、国家公務員共済組合にいたつてはその目的とする事業が本件組合と同種のものを含むが故に対比するに適するものというべく、要は前示のごとき諸点に着目してしかも法制定の時代的背景とその法目的とを見誤ることなく法人の実体を把握するにあるのであつて、法規の体裁にのみとらわれてはならない。ところで健康保険組合(以下単に組合という)は、事業主及びその事業所に使用される被保険者をもつて組織される法人であり(健康保険法第二六条、第二七条、以下単に法何条という)、その組合員である被保険者の保険を管掌するものであり(法二五条)、健康保険の保険者は、政府および組合であるが(法二二条)、政府は健康保険組合の組合員でない被保険者の保険を管掌するにとどまるもの(法二四条)であるから、組合は原判決説示のごとく健康保険事業を行うことをその存立目的としているのであつて、健康保険事業の経営は組合のいわゆる固有事務に属し、この事務は、もとより、国家機関ないし準国家機関として国の代行的性格を帯びるものとはいえない。このことは、原判決説示のごとく健康保険法制定の沿革などから考察して明らかであり、保険者は健康保険事業に要する費用に充てるため被保険者から保険料を徴収する(法七一条)のであつて、よしや国庫が健康保険事業の事務の執行に要する費用を負担する(法七〇条)としても、原審証人福島修一の供述によればその負担額は全組合費の一パーセント程度であるというのであるから、これとその設立過程とを併せ考えればその物的基礎は組合に存するものといわなくてはならず、また、人的基礎たる議決及び執行機関についても原判決説示のごとくそれは組合に存するものである(健康保険法施行令第一九条、第二〇条、第三〇条)ことによつても理解されるところであつて、これを国家公務員共済組合のごとく国の機関においてその職務として行うものと比べると質的に重大な差異があるというべきである。さらにこのことはよしや組合が論旨第二点の二、(イ)から(ヘ)までにいうがごとき諸点を具有する公法人であり、かつまたその他所論のごとき幾多の特徴を備えているとしても、そのことの故に、組合が国家の行政事務である健康保険事業を行うために設立せられ、国家の行うべき事務を分担しているとはみられないのである。所論は健康保険事業をもつて国家的事務だとする独断の上に立つ見解とするの外はない。果して然りとするならば、組合の事務を「公務」と目すべきではなく、その役職員が「公務員」に該るものとはいわれないと解すべきである。また原審証人掛札寛朗及び同福島修一の各供述に徴するも健康保険組合制度なるものは沿革的にみてもいわゆる天下り官製のものではなく、組合の事務が当然「公務」であつてその役職員が当然「公務員」であるというがごとき見解の下に組合の役職員が公務員の待遇ないし取扱いを受けた例はないというのであつて、およそ健康保険法による組合の事務がすべて「公務」であるとの検察官の見解は採るべからざるものである。従つて、論旨第一点第二点及びこれに関連する控訴趣意補充の各所論はいずれも採用するわけにはいかない。
つぎに、論旨第三点にいう東京都健康保険組合(以下単に組合という)の特異性についての所論にかんがみ考察してみると、組合の事業主が地方自治体である東京都であること、同組合が東京都に勤務する者の健康保険を管掌することを目的とするものであること、被保険者において互選した互選組合会議員及びその互選議員が互選した互選理事の第一次的な身分が東京都職員であること、事業主たる東京都は右互選議員と同数の組合会議員を選定しこの選定組合会議員が更に選定理事を互選するものであること、これらの選定議員及び選定理事がいずれも東京都職員の身分を有するものであり、かつ組合の代表者たる理事長は必らず右選定理事のなかから選ばれるものであることは所論のとおりであるが原判決のいうごとく、東京都が事業主として組合の運営に参画することは、組合の構成分子(保険者)としての地位にもとづく活動であつて、その形態及び本質において民間会社が事業主として活動するところとなんら異なるところはなくこれを法規上東京都知事が統理し、都の職員をして法人の事務に従事せしめ、事業の運営が知事の指揮命令に服している東京都職員共済組合と比べてみるとまつたくその趣を異にするものであつて、これを東京都なる地方行政機関の組織の一部又はその事務を遂行する準行政機関とはみられない。しからば本件組合の性格は前説示のごとき民間の健康保険組合となんら異なるところはなく、およそ刑法上その事務を当然「公務」とし、役職員を当然「公務員」とするにふさわしくないものといわなくてはならない。このことは検察官所論の、都の職員を組合に派遣する場合の実情とか、東京都が組合役職員の給与を支出しているというがごとき点を捉えて組合事務の「公務性」が肯定されるわけのものではない。所論引用の最高裁判所の国有鉄道共済組合に関する判決を見るに、同組合においては、業務の掌理について「運輸大臣が同組合を統理し」又は「物資部の事務を統理し」鉄道局長が当該鉄道局所属物資部の事務を「監理」しているのであるから、この場合においては、その業務の執行は同職員の公務員としての職務に属するものといわなくてはならないとしているのであつて、これを本件事案に引用することは、およそ適切を欠くものである。であるから論旨第三点(これに関連する補充書の所論を含めて)は採用できない。また、論旨第四点の所論については前説示のごとく原判決の組合事務の「公務」性判定の法制比較の方法が必らずしもすべて適切ではないが、このことの故に組合事務の「公務」性が肯定されるわけではなく、また、保険料をもつて組合の主たる物的基礎とすることが組合の基本的性格に因るものであるからといつて、これを「公務」性有無の判定の資に供することをあながち失当とはいわれず、このことは組合の「人的基礎」についても同様であつて、これらを判定資料としたことが組合の特殊性と本質を無視したものとする所論見解には賛同できない。
かくして、記録を精査しかつ当審における事実取調の結果をも加えて、論旨第一点から第四点まで及びこれらに関連する控訴趣意補充の各所論につきしさいに検討してみても、原判決が本件組合の事務を刑法第七条にいう「公務」に該らないとし、従つて本件組合役職員の公務員性を否定して、被告人らの贈収賄の公訴事実につきいずれも罪とならないものとして刑事訴訟法第三三六条に則つて各無罪の言渡しをしたことを目して法律解釈を誤り、ひいては法令の適用を誤つたとすべき跡のみるべきものはなく、論旨はすべて理由ないものである。
控訴趣意第五点について、
刑法第九六条ノ三にいう「公ノ競売又ハ入札」とは、公の機関すなわち国又はこれに準ずる団体の実施する競売又は入札を指すものであつて、たとい公法学上公法人又は公共団体といわれるものであつてもその事務が公務に該らない団体の実施する競売又は入札はこれに該当しないものと解すべきものである。けだし同規定たるや、かかる公の機関の実施する競売又は入札は、国又はこれに準ずる機関の利害に関するものであるから、これを円滑かつ公正に行わしめようとし、従つてこれを妨害しようとする行為を禁遏せんとして設けられたものであつて、公務の概念とは切り離して考えることはできないからである。であるから、原判決が本件健康保険組合の事務をもつて「公務」に該らないから、同組合の実施する入札は前示「公ノ入札」に該らないと解したのは相当であり、従つて被告人らに対する入札妨害の公訴事実についても前示同様いずれも罪とならないものとして各無罪の言渡をしたことを目して法律の解釈を誤り、ひいては法令の適用を誤つた違法があるとすることはできない。であるから所論は採用すべからざるものであつて、該論旨も理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 尾後貫荘太郎 判事 堀真道 判事 堀義次)
検察官の控訴趣意
第一点、或る団体が「公法人」であるならば、その団体の役職員は当然「公務員」に該るものである、ことについて。
一、原判決は「健康保険組合が健康保険事業という国政上重要な事務を担当し、組織強制並びに国家の監督などにおいて公共的色彩の極めて強い公法上の団体であることは否定できない」として、健康保険組合が「公法人」であることを認めている。而して現に多くの文献もまた健康保険組合を以て「公法人」なりと断定しているところであり、例えば森荘三郎教授も「健康保険組合は強制加入権及び強制徴収権を有する公法人であり、国家の行政事務を担任する一機関である」と述べられている。従つて、健康保険法に基づいて設立された本件東京都健康保険組合が「公法人」であることは争の余地がない。
二、さて、「公法人」の事務が「公務」に該り、その役職員を「公務員」なりとすることは、大審院判例のつとに明示しているところである。即ち、(1) 大判大正三年四月一三日の判決は、北海道土功組合を公法人と解し、その役員を公務員としている(刑録二〇・五四三)、(2) 大判昭和五年三月一三日の判決は、水利組合を公法人とし、水利組合会議員を公務員としている(刑集九・一八〇)、(3) 大判昭和一一年一月三〇日の判決は、農会を公法人とし、市農会議員を公務員としている(刑集一五・三四)、(4) 大判昭和一一年七月一三日の判決は、農会を公法人とし、農会の総代を公務員としている(刑集一五・一〇〇一)、(5) 大判昭和一三年一二月二二日の判決は、郡及び県養蚕業組合並びに同聯合会を公法人とし、その役員を公務員としている(刑集一七・九六二)。右のように大審院判例のすう勢は、いやしくも或る団体が「公法人」である以上、その役職員は常に「公務員」であることを自明の理として判断しているのであつて、公法人の役職員は当然刑法上涜職罪の適用を受けるものとするの建前を堅持してきている。以上の通りであるから、結局本件東京都健康保険組合の役職員が「公務員」に該ることもまた当然且つ自明の理であつて、刑法涜職罪の適用を受けるものであることは疑念の余地がない。
三、原判決は、最高裁判所昭和二六年四月二七日の判決を以て、前示大審院判例の謂う如く「公法人の職員は当然公務員に該る」ものとなし難いことの理由の一に算えているものの如くであるが、右最高裁の判決(刑集五・九四七)は、県農業会の職員が公務員かどうかを決定するにつき、その前提として農業会が公法人であるか又は私法人であるかということをとりあげることなく、更にまた右団体の実質的性格について何ら検討を加えることなく、ひとえに「経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律」二条の規定を根拠として農業会の職員を刑法七条に謂う公務員でないと判断しているに止まるのであつて、前示大審院判例を排斥する実質的な理由は少しも述べていないのである。換言すれば右判決はただ単に「経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律」中の規定から形式的な文理解釈を行つて、県農業会の職員は公務員に非ずと判断したにすぎず、法人の性質を論じてその職員が公務員に該当するか否かを決定する大審院判例の建前については何ら触れていないのであるから、この判決を以て、最高裁判所が一朝にして従来の大審院の判例の立場を放棄したものと即断することは誤りであるといわなければならない。而して「経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律」は、当時の戦局に鑑み経済統制の遂行上、その運営の中核をなす経済団体の役職員についてその綱紀の振興をはかり、必要なる刑法的措置を講ずるの必要から、経済団体の役職員の涜職に関する処罰規定の整備統一をはかつたにすぎないもの(昭和一九年一月二一日官報号外、貴族院本会議議事録)であつて、況んや公法人、私法人の区別を明らかにしたものではない。殊に本件の問題である健康保険組合法は後にも詳述するように「経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律」とはその制定理由乃至法令の性質上全く関連性のないものであるから、健康保険組合の役職員が刑法上の公務員に該るか否かについては従来の大審院判例の建前に立つて判断すべきものと考える。なお、右最高裁判決は昭和一八年法律四六号「農業団体法」に定める農業会を対象としている案件なので、同法に基く農業団体即ち「農業会」が公法人と云い得るや否やについて考察しておこう。前掲大正一一年法律四〇号「農会法」に基く農業団体としての「農会」は大正一二年一二月一三日の大審院判決及び前掲昭和一一年一月三〇日並びに同年七月一三日の大審院判決によつて公法人と認められているところであるが、右農会法は「農業団体法」によつて廃止された結果農会も消滅し、之に代つて「農業団体法」に基く「農業会」が生れた。然しながら農会法に基く「農会」は、農業の改良発達を図ることを目的とし(法一条)、その事業は農業の指導奨励、研究並びに調査その他農業の改良発達にあつて(法三条)、営利事業をなすことができず(法四条)、全く公共的性質の顕著なものであつたが、農業団体法に基く「農業会」は農会等の公共組合のほかに私法人たる産業組合等をも統合してできたものであるため、その目的も、農業の整備発達を図るほかに会員の農業及び経済の発達に必要な事業を行うことを目的とし(法一〇条)、その事業も前記「農会」の事業の他に金融、会員の販売する物の売却又はその加工、会員に必要な物の購買又はその加工若しくは生産、会員に必要な設備の利用、及び右の附帯事業等があり(法一一条)、公益と営利の中間的なものをも含んでいる。さればこそ農業会の法人格を以て「公法人的特殊法人」となし(浜田道之助・農業団体法解説一五頁)、又農業団体法には特に刑法の涜職罪よりも刑の軽い贈収賄に関する特別規定(法七一条、七二条)が新設されたのである。而して「経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律」の創設に伴い右農業団体法の贈収賄の規定は削除せられ、同法二条に統一されたのであるが、更に昭和二二年法律一三二号「農業協同組合法」の成立に伴つて農業会は消滅し、新法に基く「農業協同組合」の誕生をみたところ、同組合は統制的・公共的要素を排除したもので、私法人たることが明らかであるから、旧農会のそれとは全く性格を異にしたものなのである。斯様な法制の推移から考えると、農業団体法に基く「農業会」が果して公法人なりやについては多大の疑問が存するところであつて、私法人的性格を多分にもちそれ故にこそ贈収賄に関する特別規定を必要としたものと看るべきである。
第二点、公法人のうち特に「公共的性格の強い、国の機関に準ずるもの」の役職員のみを「公務員」とする見解等に関する考察について。
一、原判決は「わが実定法はいわゆる公法人の役職員をすべて公務員として取扱おうとするものではなく、そのうちの一部特に国家機関に準じうべきもののみを公務員として取扱つているものと解される」と説示しているが、かような見地に立脚して考察を遂げてもなお健康保険組合の役職員は「公務員」としなければならない。
二、学説上、公法人とは「国家の下に於て国家より其の存立の目的を与えられた法人である」とし、その特色として(イ)目的が法律によつて定められること、(ロ)設立が国家又は公法人の意思によること、(ハ)社員の加入が強制せらるること、(ニ)或る範囲に於て公法的行為の権能が授与せらるること、(ホ)其の目的を遂行すべき義務を負い随つて解散の自由なきこと、(ヘ)国家の特別の監督に服すること、の諸点を指摘されている。而してこれらのすべてを具有しているところの公法人こそ、高度の公共的性格を有ち国の機関に準ずるものと認めることの明白な証左であろう。そうして健康保険組合は右指摘の諸要件をすべて帯有し、その法的根拠を有するものである。即ち、右(イ)に関しては、組合が健康保険事務の経営という国家的事務をその存立目的とすること(健康保険法――以下法と略称――二五条)。(ロ)に関しては、組合は其の設立、分合等につき国家の関与を必要とする。即ち設立について強制的設立命令ある外総ての場合に於て主務大臣の認可を要すること(法三一条、二九条、八九条)、(ハ)に関しては、組合員は法律上当然加入を強制されること(法三五条)、(ニ)に関しては、組合は保険料その他の徴収金につき行政上の強制徴収権を有していること(法一一条、一一条ノ二、一一条ノ四)、(ホ)に関しては、組合は任意の解散を許されず又主務大臣は一定の場合に組合の解散を命ずることができること(令六四条、法三九条、令七一条)、(ヘ)に関しては、主務大臣は組合の規約の作成及び変更について認可権をもち(法三二条、三六条)、組合に対し事業の報告を求め、財産状況を検査するなど必要な処分をなし得ること(法三七条)、被保険者の異動、保険給付の決定に関して臨検、質問及び検査などをなし得ること(法九条、九条ノ二)、組合に対し療養施設の設置を命じ得ること(法三七条ノ二)、一定の場合組合の役員の職務の代行措置を執らせることができること(法三八条)、等によつて明らかである。尚この外、例えば事業主に対し報告、文書提示を求めその他健康保険の施行に必要な事務を行わせ得ること(法八条)、被保険者又は保険給付を受くべき者に必要な申出、届出、文書の提出をなさしめることができること(法八条ノ二)、被保険者の資格、標準報酬、保険給付に関する処分等の取消又は変更を求める訴に関しては行政庁とみなされること(法四二条ノ二)、組合に対し決議取消・役員解職を命令することができること(法三九条)、解散により消滅した組合の権利義務は政府が承継すること(法四〇条)、並びに法人税等課税免除の特典を受けていること(法六条、六条ノ二、法人税法四条五号)、等はその主要なるものである。右の如くであるから実定法に即してこれを検討しても健康保険組合が公法人のなかでも、特に公共的性格に於て高度のものであつて、国家の機関に準ずる団体であることは明白である。而して前掲大審院の判例もすべて当該法人に関して、その目的・事業の性質、設立・廃止の国家関与、強制加入、強制徴収、国家の特別監督、目的遂行の義務性等につき逐一実質的且つ具体的な検討を行い、その法的根拠を明らかにし法全体の建前に照らして、よつて以てその職務を「公務」となし、その職員を「公務員」に該るものと判断しているとも看取されるのである。従つて大審院判例を指して、単に形式論理的に「公法人であることから直ちにその職員を公務員とした」と論難することの当らないことも明らかである。
三、そこで次に健康保険事業の法律的性格等について考察をすすめる要がある。健康保険法はまさに、政府乃至健康保険組合の管掌する保険制度を通して、確実に生活救済を行うことを目的として制定せられた行政権の作用を規定した公法である。本来健康保険事業は主として労働者並びにその家族の一般福祉を増進することを以て目的とし、且つ国家自ら之を経営すべきことを法が認めた国家の事業であるが、法はこの事業の経営に当る者を政府に限定せず、健康保険組合なる法人をも政府と同等の保険者たらしめた(法二二条)。健康保険組合は、国家の行政事務たる健康保険事業を行うが為に設立せられ、之をその生存目的としている。而して組合はかくの如き国家の行うべき事務を分担し、且つ政府と相併んで之を遂行するの責任を有するのである。従つてその経営の如何は国民生活に多大の影響を有つ。例えば国家は何故に保険費用の一部を負担するのであるか(法七〇条)。その事業が労働者・国民の健康安全、産業能率の増進等を本旨とするものであるからこそ、国家当然の責務として、その発達を助長しなければならぬからである。健康保険はまた社会保険の一に算えられている。社会保険とは労働者等が疾病、負傷、分娩、老衰等の為め労働能力を減少若くは喪失した場合に、これらの事故に因り蒙ることのある損害を填補し経済生活の不安を除くことを目的とするところの保険を謂うのであり、保険の組織を以て労働者等の間に相互扶助を為し、右に述べたような結果の発生を未然に防止せんとする施設であつて、国の社会政策の一部門を成すものといわねばならない。尚ここで特に注目すべきは、政府が、解散した健康保険組合の権利義務を当然承継することである(法四〇条)。このことは国家が健康保険の最終的な運営責任を負うものであることを示すものにほかならない。このように、健康保険法の実定法的考察及び健康保険事業の性格乃至その実体を検討するならば健康保険組合の管掌する場合と雖も些も国家の管掌する場合の事業と異るところはないのであつて、一方に於て国家が之を実施すれば、その掌に当る職員は当然のことながら公務員であり、他方に於て組合がその実行にあたる際にはこれを運営する職員は公務員に非ずと区別することは、まことに了解し難く、実質的にも理由ありとはなし難い。均しく国家事務としての健康保険事業を遂行する以上、その執行機関の主体の性質如何に拘らず、国家事務即ち「公務」に従事するものにほかならないのであつて、両者の間に差等を設けねばならぬ根拠は少しもない。前者に対して職務の清廉性を要求するところの基盤は、後者に対してもまた存在するのであつて、両者同等の清廉性を要求しなければならないものと確信する。
四、ところで、民法学者のうちには「公法人・私法人の区別無用論」を主唱している者もみられるが、公法学者たる田中二郎教授は「公法人と私法人との区別が実定法上の区別として認められて居る限りに於て、技術的・制度的にこの区別を論じこの区別の標準を説くことは、この区別の成立した地盤の推移に拘らず、今日も尚その必要を失わないのであつて、かういう見地から法人形態を把えて、実定制度上、それが公法人か私法人か、その何れに属するものなるやを論ずることは、必要且つ実益あるものといわねばならぬ。併も実定法はこの区別をとり入れ、公法人と私法人とによつてその法律的取扱を区別して居る場合が必らずしも少くないのであるから、その限度に於て具体的の法人がその何れに該当するやを論ずることは、実定法上の必要に応ずるもので、決して無意義とはいえない。又公法人と私法人との夫々の特色なり色彩なりを明らかにすることは、法人の実体を理解するに当り、且つ又それを説明するに当り、多大の便宜を供することもこれ亦否定し得ないであろう。要するに公法人・私法人の概念は歴史的な概念ではあるが、それが実定法上の制度的な概念としても認められて居るのである。」と提言されておられるのである(田中二郎・公法と私法一一〇頁以下参照)。このように、いわゆる「公法人学説」は法律上の重要な概念であり、少なくとも公法関係に於ては問題解決の基準となるべきものであつて、これを無視した原判決は誤りも甚しいといわなければならない。
第三点、東京都健康保険組合の特異性について。
本件で問題とされている東京都健康保険組合は、他の一般事業所等の健康保険組合と比較し、東京都と密接な関係がある点に於て重要な差異を認めることができ、このことはその組合の事務に「公務」性を帯有させるものと確信する。先ず、東京都健康保険組合の事業主は地方公共団体である東京都であつて一私人ではなく、その被保険者はすべて東京都に勤務する者であり(東京都健康保険組合規約一条)、公務員たる東京都職員の相互救済等を目的として設立された組合であつて、その組合組織の上では東京都及びその職員以外の者は全くこれに加わつてはいないのである。従つて、東京都の職員であることを資格要件とされる被保険者において互選した互選組合会議員、及びその互選議員が互選した互選理事(法四一条、令二〇条、三六条)はその第一次的な身分がいずれも東京都の職員であることは疑の余地がない(第七回公判加藤良也の証言)。ところで、事業主は右互選議員と同数の組合会議員を選定するのであり、これらの選定組合会議員が更に選定理事を互選することと定められている(法四一条、令二〇条、三六条)。而して選定理事は概ね東京都総務局から総務部長、人事部長、勤労部長、その他各局の総務部長らが互選されるのが通例であり、いずれにしても都知事が都職員の中から組合会議員を選定するのであるから(第四回公判掛飛寛朗、第七回公判加藤良也の各証言)、これらの選定議員並びに選定理事がいずれも東京都の職員の身分を有するものであることもまた明らかである。しかも組合の代表者たる理事長は必らず右選定理事のなかから選ばれるのである(令三六条)。そうして、これら都の職員であるところの組合会議員並びに理事はいずれも都職員としての身分を有し、その本来の都の行政事務に従事しつつ、組合会議又は理事会の招集ありたる節、その都度これに参加して組合の業務の運営に従事するのであつてみれば――但し理事長は常務であるから、都職員としての身分は有するも、組合の事務に専従する――(第七回公判・加藤良也の証言)、東京都健康保険組合の組合会議員並びに理事(理事長を含めて)は、右互選なるや、選定たるやを論ぜず、全て東京都の職員であることはまた疑の余地がない。原判決は「東京都が事業主として組合の運営に参画することは組合の構成分子としての地位に基いての活動であり、これは被保険者の構成分子としての地位に基いての参画と法的には何等の差異はない……からその活動の性格は民間会社が事業主として行為する場合の活動と何ら異なるところはない」と謂うが、なるほど事業主としての活動それ自体は形式的には民間会社のそれと同一と云い得るとしても、その実態を観察したとき、右に述べたように事業主も被保険者も、ともに東京都それ自身であり、東京都の職員であるところの本件東京都健康保険組合の場合を以て、民間会社の同種組合と同質のものと断定するわけにはゆくまい。況や事業主たる東京都は、その選定にかかる組合会議員又は理事の活動を通じて組合の運営上、都の意向を滲透・反映させることが可能であり、又組合代表者を招致して都の希望とするところを組合側に伝達されることの存する事実(第八回松本留義の証言)に徴すれば、単にその「選定」行為の法的評価を論ずるに止らず、ことを実質の面に把えてこれを検討すべきものであろう。東京都健康保険組合処務規程、並びに第六回公判細田義安、第七回公判・加藤良也、第八回公判・松本留義、第一三回公判・鈴木亀太郎、同高鍋三千雄の各証言によると、組合の事務に従事している職員のうち殊に課長又は係長には都の職員をもつて充てられているもののあることが認められる。これについて原判決は「都において組合を財政的に援助する建前から都の職員中特定のものにつき職務に専念する義務の全部または一部を免除して組合に派遣しその事務に専従などをなさしめているに過ぎない」と説示しているが、かかる判断はその実態を著しく誤解した皮相の見解と考えざるを得ない。第一に、都の職員を組合に派遣する場合の取扱の実際を見るに、先ず都知事又はその委任した任命権者が、組合に派遣せんとする都の職員に対して「東京都総務局(等)勤務を命ずる」旨の発令をなし、次いで「東京都健康保険組合に勤務を命ずる」旨の発令を行うのである。これは都知事の任命行為であり、而して又都職員の身分を有しつつ、組合の勤務に従事させるものであることは明らかなところである(第一三回公判高鍋三千雄の証言)。斯かる発令行為・勤務命令を以て単なる職務(本務)専念義務の免除を意味するのみとは遽に解し難い。右知事の発令行為は、法律的にはどこまでも勤務命令と解すべきであつて、その発令行為の結果として、本務専念義務の免除という効果が発生するにすぎないものと考える(昭和二六年二月東京都条例十六号、同二七年二月東京都人事委員会規則一号)。なるほど、東京都健康保険組合理事長がその名を以て、都より派遣されたる職員に対し「東京都健康保険組合○○課(係)長を命ずる」旨の辞令を発付することも事実であるが、右は前述した都知事の発令行為を前提とし、且つその後において実施されるものであるから、組合理事長の右行為は単に当該派遣された職員の勤務部署乃至職務内容を明示したに止まるものであつて、都より組合に都の職員が派遣せられるのは、知事の発令行為にその根拠を求むべきものである。もし右の如き知事の発令行為が存しないならば、組合理事長の専権において、勤務部署を指定するの発令は不可能であろうし、仮にさような行為に出でたとしてもそれは法律的には何らの効果を齎らさぬであろう。而して、都の職員の身分を有しつつ組合に派遣されるが故に、その職員は組合の事務に専従しながら、なお同人の給与は都の会計より支出されているのである(第四回公判掛飛寛朗の証言)。都の会計より支出されているということは云うまでもなく都議会にはかられた都の費用によつて支給されていることを意味する。もし、組合乃至その事務が都の行政事務と何らの関係なく、都の業務との間に全く関連性がないとしたならば、都は如何してこのような会計上の取扱を為し得るのであろうか。更に又、組合運営の主要な財源たる保険料の相当部分は、事業主としての東京都の負担とされており同都の費用から支出されている点、その他同様に都から交付金や助成金が支弁されている事実(第四回公判掛飛寛朗、第七回公判高鍋三千雄の各証言)に鑑み、組合の運営は財政的には殆んど都民税によつて賄われていると看取される実情にある。都監査委員会が組合に対してその会計上の監査を実施する所以もここにある次第なのである(第七回公判高鍋三千雄の証言)。東京都健康保険組合の職員の中には、前述の如き都の職員の身分を有する者と、いわゆる組合の固有職員ともいうべき、組合で採用した事務職員とが存する。しかし、前述東京都健康保険組合処務規程によれば組合職員のうち主要な職員、即ち課長・係長は都の職員を以て充てるべき旨の定がある。申すまでもなく、本件東京都健康保険組合の会計課長は同組合の業務執行の一機関として考察さるべきものであつて、会計課長は、組合の財務即ち、組合の収入支出の予算の調製、準備金の管理、決算並びに財産目録の調製、一時借入金及び組合債の件、事業状況報告の件等、いずれも法令に基き監督庁の認可等を必要とする重要な業務を担任するものであつて、その身分は担当の職務内容に照らして、いわゆる単純なる機械的肉体的労務に従事する者でないことも明らかなところである。而して組合の理事は、組合事務の執行機関であるから、組合の事務を執行し(令三八条)、或は組合を代表し(令三七条)、或は組合会の議決事項に関して処分権を有する(令三九条、四〇条、四一条)。そうして「公務員たる資格の法令の根拠」については、本件東京都健康保険組合の理事は、健康保険法四一条、同施行令三六条に基いて選挙せられ、同会計課長は、東京都健康保険組合規約五三条(処務規程三条)に基きそれぞれ組合の業務に従事するものであるから、いずれも公務員たることに欠くるところはない。尚、最高裁・昭和二六年五月一一日の判決(刑集五・一〇三五)は、国有鉄道共済組合に関して「国有鉄道共済組合は、もとより国家の行政事務を行う国家機関ではないけれども公務員たる鉄道従業員の相互救済、福利増進を目的とする団体であつて……かくの如き法令に基く組合業務の執行は、運輸大臣、鉄道局長の国家に対する職務に属することは勿論であつて、従つて、鉄道部内の職員が大臣の命により組合の事務に従事する場合に於いても、その業務の執行は同職員の公務員としての職務に属するものといわなければならない。」と判示している。右最高裁判所の見解をもつてすれば東京都健康保険組合もまた公務員たる東京都職員の相互救済等を目的として設立されたものであり、東京都知事は前記の如く組合の役職員の第一次的任命乃至選定、財政上の負担、都監査委員の監査等を通じて実質的に組合を統理しており役職員は都の職員の身分のまま組合の業務を担当しているのであるから、その担当する組合の業務に対する関係においても、ひとしく公務員としての職務に属するものと云わなければならない。以上の各事実に着目すれば、仮に百歩を譲り一般的に健康保険組合の事務が「公務」とはならず、その役職員が「公務員」に該らずとしても、本件東京都健康保険組合の事務に「公務」性を認めることを正当とするものであつて、原判決のこの点に関する判断は誤りであると云わざるを得ない。
第四点、原判決の「公務」性判定の法制比較の方法について。
一、原判決は「健康保険組合のように法自体にはその役員及び職員の公務員性が明定されていない法人の役員及び職員については、当該法人の実体に着目すると共に、経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律別表乙号に掲げられた法人並びに公務員性を明定した法人とを比較して、その準国家機関性の有無を決定することが相当である」として、詳細な考察を行なつている。ところで、かような考察の仕方それ自体は、抽象的な方法論としては格別、本件の如き健康保険組合の役職員の公務員性の有無を検討する場合においては極めて不相当なものと断定せざるを得ない。結論的にいえば原判決の採つている比較の対象、比較の基礎、比較の方法に重大な誤りが存するのである。このような諸法制との比較論証を実施するに際つて最も肝要なことは、健康保険組合法が明示しているところの事業内容の特殊性に着目しなければならない、ということである。
二、原判決は第一に公務員性を否定した法制についての考察に際り「経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律」別表乙号掲記の諸団体との比較を行なつているのでこの点について論及する。先ず健康保険法の考察に際り、之と比較するに「経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律」を以てすることはその比較の対象に於て説りをおかしているものといわなければならぬ。そもそも同法制定の理由・経過については前記第二点に於て述べた通りであるが、同法別表の各団体と健康保険組合とは基本的に全く異質のものであることは、それぞれの事業目的乃至事案内容、活動領域等に照らして多言を要するまでもない。なるほど、或る法令に基づく団体の役職員の公務員性を論証する場合に同法を比較の素材として用いることは一方法ではあるが、この方法が許されるのはあくまでも同法の制定理由等に徴して、別表に掲記されているものと同類型の経済的団体に関する法令を検討するときにのみ妥当なものといえるのであつて、健康保険組合のように、右意味に於ける経済団体とは到底認め得ないものの根拠法令を考察する場合には甚だ適切を欠いた方法と認めざるを得ない。同法別表(乙号のみならず甲号をも含めて)掲記の諸団体中、健康保険組合の有つ事業の特殊性等に照らし之と比較される相似性のある団体(法令)が存在するであろうか。むしろ皆無と判断せざるを得ない。このような見地に立てば原判決の如く、或いは農業団体を、或いは水産業団体を別表乙号の中から無批判的に選択して之と健康保険組合との比較を試みていることは、何ら合理的な根拠を有しておらないものというべきである。
三、原判決は第二に、公務員性を明定している法制についての考察を行つているのであるが、ここでもまた無差別に各種の団体を挙げて健康保険法との比較の素材として用いているが、かかる方法の失当であることは右二に於て論述したと同一である。即ち原判決はここでもまた事業内容の特異的諸条件を殆んど顧慮しておらないものと認めざるを得ない。さて、かような方法論上の誤謬はしばらく措くとしても、原判決の挙示している諸団体の中には、例えば閉鎖機関整理委員会の如く一種の行政委員会の如き、最も公務性の高度なものから、立法者並びに学者らが私法人と定義している営団、例えば帝都高速度交通営団等までが含まれており、その公共的色彩はまことに区々である。従つてこれらの諸団体の役職員で公務員とされているものの中には、本来刑法七条に謂う公務員に該当するのであるが、疑を避けるために確認的に規定を設けたにすぎないものもあるし、又は本来公務員ではないが特に創設的・擬制的に法が規定を設けたものも含まれているので、原判決の挙示する各種法令は一律には公務員性決定の基準とはなり得ないものである。にも拘らず原判決は、右いずれの範ちゆうに属するかを何ら判別することなく、無差別的にこれら諸団体を羅列し、それらと健康保険組合とを比較しているが、これは比較の基礎に於て誤りをおかしているのであつて決して正当な検討の仕方とはいえない。殊に原判決はその比較を行うに際つて、極めて平面的にそれら公務員性を明定している法令に基く団体の設立過程及び経営過程を、いわば皮相的に着目し、「物的基礎」として基本金乃至資本金につき政府の全額出資であるとか、「人的基礎」としてその役員が政府によつて任命されるとかの事実を指摘し、これらの点に於て既に健康保険組合はその準国家機関性が希薄であると説示しているのであるが、例えば前述のように、私法人とされる営団にあつてもその役員は政府の任命するものによつて充てられ、しかもこれが経営の全機能を握つていること等を考慮すれば、原判決の右のような比較の方法は全く無意義というのほかはない。ここで、健康保険組合についていえば、被保険者並びに事業主より徴収する保険料を以て組合の主たる「物的基礎」となす根本的理由は、健康保険組合の基本的性格に因るものである。即ち健康保険の如き社会保険の特色はその損害発生前に於て常に必らず一定範囲の被保険者を有し、これらの被保険者自ら常に保険費用に充てるべき保険料を支払うことの事実である。従つて国家がその財源のすべての負担に任じないことは、健康保険が機能的には社会保険の本質である相互扶助の原理に立つていることに基くものであり、その性質上当然のことといわねばならないところなのである(そうしてなお且つ健康保険事業に国庫負担の存する意義についても第二点で指摘した如くである)。従つて原判決が「物的基礎」の面に於て政府出資の額の多少を論じていることは、健康保険事業を考察する場合その特殊性、本質性を無視した点で到底正当な見解とはいえない。而して「人的基礎」についてみても右同様の趣旨から、保険事業の性質上、その役員をむしろ組合自体に於て選出せしめるとの方策を採つているのである。要するに、かかる物的・人的基礎が政府に負うところの大であるか否かが直ちに公務員性判定の資料となるものではない。それらの人的基礎、物的基礎に対する国家の関与程度は、当該団体の事業の特殊性及び国家がそれら事業の育成発展を期するうえに於て、如何なる方法を採つたならば、より事業の目的、理想を達成し得ると判断したかによつて決定される問題であつて、原判決のいうような一律的規準となり得べきものではないのである。
四、更に原判決は、「公務員性を明定している法制」としてその中に「○○は国家公務員とする」と定められている方式のものをも含め、その具体的事例として「連合国軍人等住宅公社法」等を列挙しているが、ここに「○○は国家公務員とする」と明示している意義は、「行政組織上国家公務員とする」旨を法令上闡明した意味であつて、毫も刑法に謂う公務員に該るものとするの趣旨ではないのである。然るに原判決はこの点の理解を欠き他の方式、例えば「○○は法令によつて公務に従事する職員とする」と規定する場合と同意義に之を論じているが、法令解釈の誤りもまた甚しいものと断言せざるを得ない。
第五点、刑法第九六条ノ三にいう「公ノ入札」の意義について。
一、原判決は、「刑法九六条ノ三にいわゆる公ノ競売又ハ入札とは公の機関すなわち国家又はこれに準じ得る団体の実施する競売又は入札を指す」ものとし「東京都健康保険組合の事務は公務ではないから、同組合の実施する入札は右にいわゆる公ノ入札にはあたらない」旨判示している。しかしかかる見解はまさしく法令の解釈を誤つたものといわざるを得ない。先ず学説・判例の通説にしたがえば、「公ノ入札」とは、「国又は公共団体の実施する入札を謂う」とされている。而して通例「公共団体」なる用語は法律上公法人と同一義にも解され且つ用いられているところから考えれば、公法人が右「公共団体」に含まれることは疑のないところである。従つて特に公共性の顕著な東京都健康保険組合が公法人即ち「公共団体」に該ることは前記第一点、乃至第三点に於て詳論したところから明白であるから同組合の実施する入札はまさしく公の入札に該るものと言わざるを得ない。次に刑法九六条ノ三にいう「公ノ入札」と同法にいう「公務」とは、それぞれ別個・異質の法律上の概念であるから、この両者を同一の面に於て理解すべき筋合のものではない。即ち公共団体の或る事務が「公務」に該らぬ場合と雖も該事務に関する、同団体の実施する入札はなお「公ノ入札」と認めるべきものである。然るに原判決が健康保険組合の事務を以て「公務」に該らないとの理由のみを以て、直ちに「公ノ入札」に非らずと即断したことは甚しく法令の解釈を誤つたものと断定せざるを得ない。叙上の如き次第であるから、いわゆる公法人学説に依拠し、大審院判例の伝統的・基本的見解に照し、実定法の正当な解釈方法に基き、適正な諸法制との比較に徴したうえ、健康保険事業の法的性格、健康保険組合の実質に鑑みるならば、極めて公共的・公益的性質の顕著なものであつて、まさに国家機関に準じ得べき団体と認められる健康保険組合の事務が、刑法第七条に謂う「公務」であり、従つて同組合の役職員である理事、会計課長が「公務員」に該当することは明白である。しからば、同組合の行う入札が刑法第九六条ノ三にいわゆる「公ノ入札」に該ることも疑の余地がない。仮に、一般的に健康保険組合の事務が公務に非らずとするも、本件東京都健康保険組合の前述の如き特異性に着目すれば、その事務は「公務」であり、その役職員は「公務員」であると謂い得べく、且つ右入札は「公ノ入札」に該るものと考える。
以上の各理由により、原判決の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れないものと確信する。